保存情報第26回
データ発掘
(お気に入りの歴史的環境調査)
愛知教育大学付属養護学校作業実習棟(旧岡崎師範学校武道館) 北野哲明/北野建築計画工房
■発掘者コメント

 1945年7月20日未明、岡崎市は連合軍の空爆を受け市街の大半を焼失した。岡崎師範学校も、この武道館と他の1棟を残しすべて失った。隣接する浄水場が空爆を逃れたのは、米国の人道配慮か、空爆精度の問題かは明らかでないが、教育
者養成所だからあえて攻撃されたと、うがった見方をすることもできる。
 この建物は、強豪として名を馳せた剣道部の武道場として1925年に建築された。連戦連勝の剣道部への報奨であったという一説もある。敗戦後は、後身の学芸大学の附属中学校校舎として、附属小学校講堂として使用され、現在に至っている。
 RC造平屋建て424uの建物のデザインは、当時の愛知県営繕課の手による建物群のそれに一致する。安城市の県農事試験場には、弟分とも双子ともいえる講堂(1927年)があり、同課の歴史を調査する上でも、一見の価値がある。
 余談はさておき、この建物の特徴は、圧縮材を木材で、引っ張り材を鋼棒で構成するトラス架構にある。過剰なほど無骨な構造は、質実剛健を旨とする三河人の気概を表現したものか、洗練の域までのデザイン手法を持ち得なかったのかは定かでない。構造教本によくある典型的な小さいトラスであるが、格納庫などの大規模木造トラスに突き進む国の前兆を見る気がして落ち着かない。
 同大学小川正光教授の委託により、愛知地域会保存研究会のグループで実測調査が始まる。当分はこの建物の命運を左右することもなさそうであるが、調査と、小川教授の下での保存・利用の研究が、新しい道を予感させ心踊る。



所在地   岡崎市六供町
構造・規模 RC造平屋建
延床面積  424u
竣工     1925年
データ発掘
(お気に入りの歴史的環境調査)
有松の町並み保存地区 三輪邦夫/RE建築設計事務所
■紹介者コメント

 有松は、名古屋市の南東部に位置している。旧東海道五十三次の池鯉鮒(知立)と鳴海の宿の間に、1608年(慶長13)に開かれた村である。絞り染めとともに発展してきた町である。1784年(天明4)の大火で村のほとんどが焼失、これを機に旧東海道沿いの町家は、従来の茅葺を瓦葺きに改め、塗籠造りとしたことから、現在見られるような豪壮な商家が建ち並ぶ町並みが形成された。
 東は千越川に架かるまつのね橋から西は祇園寺までの約800mにわたって、旧街道沿いに特色ある塗籠造りの町家が多く残っており、優れた歴史的景観を今に伝えている。名古屋市は1983年(昭和58)に町並み保存地区に指定している。
 ゆるやかに曲がった街道沿いに、間口が広く、中2階建て切妻、瓦葺。1階の前面には半間の土庇と格子がつき、2階の窓は虫籠窓である。屋根や庇が前面で揃い、これらの均質な意匠の建物が建ち並ぶ有松の町並みは心をなごませる。
 数年前からこのあたりは土地区画整理事業が行なわれている。東西に走る旧東海道のほぼ中央、南北に走る道路を現在、拡幅中である。道路沿いの建物は、町並みを意識しながら?新しい建物に替わっていく。「保存と開発」この言い占された言葉は、有松では今でも進行中である。
所在地 名古屋市緑区有松町犬字有松字往還