保存情報第49回 | ||
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) | 白壁界隈 | 坂本 悠/有理社 |
![]() 白壁界隈 |
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![]() 「文化のみち」 |
■紹介者コメント 愛知万博開催に向けて整備された「文化のみち」は、名古屋城から白壁地区を含む徳川園に至るまでの地区一帯のことです。電柱が取り除かれ、路面も石畳とはいかないまでもきれいになり、福沢桃介と川上貞奴の邸宅も移築・復元されて目玉もできました。 たまたま用件ができ、数年間毎日のようにこの町並みへ通い、四季を楽しみ、変貌を見てきました。尾張藩の上級武家屋敷から時代を重ね、財界人の屋敷と格式ある料亭の大きな門と塀、そして見越しの木々が類のない品格ある町並みを守り続けてきました。しかし昨今では地価の低下や、都心にありながらのこの町並みに憧れ、事務所やレストラン、結婚式場、特にマンションへの建替えが目立ってきています。それでも新しい建物には多少なりとも先人への配慮が感じられ、何より前面に残された大きな樹木の連なりがやっと何とか町並みを保ち、道行く人への威圧感を和らげてくれています。 ただ景観問題にもなった櫻明荘の跡地に建ったマンションだけは許し難い大きさと形で明らかに景観を壊しており、あの櫻明荘の庭を思い出すと何とも残念な気持ちにさせられます。といっても、このままそっと何も手付かずで残せるわけでもありません。昔から大切に住み親しむ人々と、その守り続けてきた町並みを、将来を見据えることなく商売にするデベロッパーとの価値観の差。正義ははっきりしているのに、本当に悲しく難しい問題だと思います。 |
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登録有形文化財 | 長久山實成寺本堂・山門 | 林廣伸/林廣伸建築事務所 |
![]() 長久山實成寺山門 |
![]() 山門より本堂を望む |
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■紹介者コメント 實成寺(日蓮宗)は甚目寺町東端の五条川右岸にある。山門が面する五条川との間の道は、車のすれ違いができないほど狭いが、かつての鎌倉街道で、上(津島)街道と交わる法界門橋からこの旧道を南下すると、萱津神社、正法寺、妙教寺、妙勝寺、八坂神社、光明寺、三島神社と寺社が連なり實成寺に至る。さらに南下すると八幡社、八王子神社、妙浄寺、宝泉寺と建ち並び、月の宮社あたりで五条川と合流した新川と庄内川を渡れば中村区の東宿である。實成寺の建つ地は、字名の通り、中世における萱津宿の南宿であった。 實成寺の本堂は宝形造桟瓦葺きであるが、小屋組の構造から、かつては檜皮(柿)葺きであったと推定される。また、来迎柱廻りは古式で、関野克博士や浅野清博士の所見では室町期に遡るとのことである。名古屋市博物館に寄託されている鰐口には「明応七(1498)年」の刻銘があり、中世に遡る部位も残存していると考えられるが、現状の建物は江戸前期に大規模な改変を経て成立したものとみられる。山門は四脚門、切妻造本瓦葺きで、創建は本堂と同時期と推定される。 本堂の現状は大屋根周囲に増設屋根が庇状に取り付き、側周りにはアルミサッシュが填められていて創建時の姿との相違も目に付くが、照り起りの打越垂木、変則的な吹き寄せとした二軒の化粧軒や、その化粧軒を外陣まで引き入れて内部空間に変化を与えていること、来迎柱周りの彩色など見応えのある堂宇である。中世の趣を残す周辺の歴史景観と共に健全な環境保全が期待される。 ところで、登録に際し現地調査の機会を得た。小屋内を見ると、小屋梁は内外陣境の円柱筋を飛び越え、側柱の上に架かる、というよりは置かれているのみで、もちろん、金物締結などは施していない。当然ながら、柱脚は礎石建ちで、コンクリート基礎も土台もなく、柱間はすべて建具か開放なので、建築基準法でいうところの壁量は0であるが、濃尾地震では倒壊していない。 参考文献 「尾張名所図会」/「甚目寺町史」/「愛知の近世社寺建築」 所在地 愛知県海部郡甚目寺町大字中萱津字南宿254 竣 工 江戸前期 登録番号 23-0186・0187 |