保存情報第63回
登録有形文化財 一宮市尾西歴史民俗資料館別館(旧林家住宅) 谷 進/タクト建築工房


内部

外観
■発掘者コメント
 東海道宮宿(熱田宿)と中山道垂井宿を結ぶ美濃路は、東海道の難所鈴鹿峠と海上「七里の渡し」を迂回する街道として多くの人々に利用された。東海道宮宿より分かれ、名古屋宿・清洲宿・稲葉宿・萩原宿・起宿・墨俣宿・大垣宿と経て、垂井宿の手前で中山道に合流していた。起宿は木曽川の江戸寄り起渡船場にあって、水陸交通の拠点でもあった。1720年(享保5)より林家が船年寄と脇本陣職を前任者より引継ぎ継承してきた。
 1891年(明治24)の濃尾震災は起宿に大きな被害をもたらし、起宿脇本陣の建物も倒壊した。その脇本陣跡地に住宅として建て直されたのが、この旧林家住宅である。
 旧態に似た間取りではあるが、表門は廃され、離れ座敷は2部屋に縮小された。街道に面する1階窓の連子格子、根太天井、立ちの低い2階など、江戸幕末の町屋建築の様式をよく伝えている。外回りはすべてガラス戸で囲まれており、当時としてはモダンな建材も使われている。
 昭和初期、約10年の歳月をかけて作庭した庭園は、心字池を中心とした回遊式で、宗風の禅様式とのこと。母屋の西にあり、木曽川の堤防に至る東西に長い敷地に拡がる。庭を2分するように南北に枯池が配され、手前を平庭作り、西奥をゆるい築山としてある。南西隅に腰掛待合があり、木曽川の堤防を背景に庭を演出していたと想像される。名石や石組をながめつつ様々に変化する風景が楽しめる庭園で、紅葉の名所として静かな話題の地と聞く。
(出典:「旧林家住宅」・特別展「美濃路探訪」ほかパンフレット:一宮市発行)

所在地 愛知県一宮市起字下町211
建築年 不詳(大正初期頃完成、昭和初期一部増築)
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 旧見付学校 本田伸太郎/本田建築設計事務所

外観

内観

内観
■発掘者コメント
 旧見付学校は静岡県磐田市の、東名高速道路磐田ICを出て、南に2kmほど下がったところにあります。学制発布後間もない1875年(明治8)に完成した、日本最古の木造小学校舎です。擬洋風様式で、基壇の石垣は横須賀城の石垣を利用した玉石です。間口12間、奥行き5間の木造2階建ての上に、2層の楼を載せて完成しました。1883年(明治16)に2階天井裏を改築し、1層増やして現在の3階2層となりました。玄関はエンタシス様式の飾り柱で、分銅付の窓となっています。また床板は45度斜めに貼られていて、耐震性に配慮されていると見受けられます。
 ちなみに、この建物は、名古屋の堂宮棟梁、伊藤平右衛門の設計によるとされています。そして、1922年(大正11)までは小学校として使われましたが、その後は、中学校、裁縫女学校、教員養成所、病院等として使われ、現在は教育資料館として、学校教育関係の資料を中心に展示されています。月曜日を除いていつでも見学できますので、ぜひ一度訪れてください。

所在地 静岡県磐田市見付馬場町2452 設 計 伊藤平右衛門 開 館 9:00〜16:30 入場無料