食べもの文化考 最終回
ハレの日の食卓
牧野登志子
(金城学院大学 生活環境学部教授)
 みなさんは「ハレ」と「ケ」という言葉をご存知でしょうか? 民俗学の分野では重要な位置付けをされている言葉であるようですが、一言で言えば、「ハレ=非日常」、「ケ=日常」という意味です。
 「ハレ」という言葉は晴れ着、晴れ姿、晴れの門出などという言葉で今も使われていますが、「ケ」という言葉は近頃とんと聞かれなくなりました。「ケ」は普段とでも説明すれば良いのでしょうか?
現代日本のハレとは
 ハレの日には普段とは異なった服装をして普段とは異なった食事をします。今回は現代日本のハレの日のご馳走について考えてみたいと思います。ハレの日を特別な日と考えると、それでは現代の家族にとって特別な日とはどんな日なのでしょうか? 今の主婦たちが特別な日として最も意識するのはわが子の誕生日(約97%)であるようです。特別な料理が登場するのは子どもの誕生日、夫の誕生日、自分(妻)の誕生日という順番になっています。
 一年を通して、家族にとっていつもと違う特別な日として意識されている日は、家族の誕生日の次はクリスマス(約93%)です。その他、節分、雛祭り、結婚記念日、子どもの日、母の日、バレンタインデーなども特別な日として意識されているようですがクリスマスには、大きく水をあけられているようです。
 おや、お正月は? と思う方もいるでしょうが、現代の日本人にとっても、正月はおそらく別格なのでしょう(と、私は思いたいのであります)。そこで、正月については後で考えてみたいと思います。
現代のハレの食事は
 家族にとっての特別な日のメニューは主役の好物がトップでした。子どもの誕生日では鶏のから揚げ、ステーキ、寿司、焼肉で、夫の誕生日は刺身が断然1位、寿司、焼肉、ステーキと続きます。自分(妻)の誕生日に特によくつくる料理はないようです。
 一方、特別な日のメニューのイメージとして主婦たちが思い浮かべる料理のトップはお赤飯のようです。その他、握り寿司、ステーキ、チラシ寿司、手巻き寿司、刺身、すき焼き、鶏のから揚げなども出てきますが、日本古来の伝統料理と言われるものはあまり出てきません。節分の豆は7割、土用のウナギは約6割の家庭で食べているようです。ちまきや月見団子は大体四分の一位の家庭で登場しています(関東より関西の方がなぜか断然多く食べられていました)。
 特別な日の料理はその日の行事に合わせた特別な意味を持つ場合が多いので、ことさらご馳走ばかりとは限らないのですが、まあハレの日の料理はご馳走と思われていることが多いようです。そうして、近頃はその境(ハレとケの)が徐々になくなってきているといわれています。  日本の主な行事食は正月のおせち料理に始まり、鏡開き、七草粥、小正月(あずき粥)、節分、雛祭り、お彼岸(ぼたもち・おはぎ)、お花見、端午の節句―こどもの日(柏もち・チマキ)、七夕(そうめん)、土用のうなぎ、お月見団子、冬至(かぼちゃ)、年越しそばなどなど、四季折々の季節感溢れる食べ物があります。私が子どもの頃、たいして料理好きでもなく、あまり家庭的でもない、働く女であった母が、こどもの日につくってくれた柏もちや、お彼岸のぼた餅(春は牡丹餅、秋はおはぎというそうです)の甘い味はあまり豊かではなかった子どもの頃の甘くて懐かしい、遠い日の大切な思い出となって息づいています。
 みなさんのご家庭には、祖母から母へ、母から娘へと伝わる料理はありますか? あるアンケートによれば、わが国の約半数の家庭が一つもないと答えています。ヨーロッパではキリスト教の行事に因んだ、伝統的な様々な甘いお菓子や料理があるといわれています。日本でも、主に中国から伝わって日本で形を変えたお菓子や、子孫の健康や反映を祈った様々な料理があります。
現代のお節料理事情
 ハレを特別と考えるとお正月は日本人にとっては一番のハレの日であったと思われます。特に元旦にはハレ着を着て特別なご馳走(お節料理)を食べました。 ところで、正月に食べるお節料理は単に新しい年の初めを祝うご馳走というだけでなく、それぞれの料理には様々な願いが込められていました。今でも8割以上の家庭で正月にはお節料理が食卓に登場しています。ただ、お節料理を手づくりする家庭は約2割で(案外多いのかも)そして、その一つひとつの意味を理解している人はいったいどれ位いるのでしょうか?
 お節料理に関するアンケート回答者のコメントを拾ってみますと、「お節もいいけど、カレーもね」とか、「3日間も同じものは食べられません」、「あまり美味しいと思うものが少ない。現代風お節を考えて欲しい」(お節料理の意味を知らんのか!)そして、1月1日から、スーパーが開いている現在では、冷たいお節料理より、出来立ての暖かいお料理の方が家族には歓迎されるというのが、正直な声ではないでしょうか?
 地球の温暖化も進み、暖房もしっかり効いている今の日本の住宅では、正月3カ日間の日持ちが難しいという事情もあって、食べ残しのお節を大量に廃棄する羽目に陥るご家庭も結構多いと聞きます。
世代間で好物の違いがある日本
 ところで、話は飛びますが、わが国の家庭での特別な日(ハレの日)につくる、その日の主役の好きな料理には年代差があることにお気づきの方もいたと思います。  以前私が見た調査では、ハンバーガーやフライドポテトのようなファーストフードは20歳以下の世代に、お寿司は、結構全世代に受け入れられていました。それから焼肉は50歳代位までは、好きと答え、煮魚や野菜の煮付けは高齢世代といった具合に世代ごとに好物に上げる料理に違いが認められました(百歳以上の方の好物のトップはうなぎだそうです)。
 一方、アメリカではそうした世代間の大きなギャップはありませんでした。多分アメリカでは、最近の数十年間でそれ程大きな食生活の変化がなかったからでしょう。しかし日本では、明治維新以降、食生活の大きな変化がありました。それでもいまだ一般庶民は米を主食とした、伝統的な食生活を営んできました。
 日本の食生活が大きな変革を遂げたのは、何といっても、第二次世界大戦後であります。
 敗戦後の日本の子どもたちを飢えから救ったのはララ物資のスキムミルクと小麦からつくったパンでした(学校給食の稿で述べました)。脱脂ミルクを飲み、コッペパンを食べて育った子どもたちは今では、日本の中枢を担う年代になっています。
 食べ物だけではない、服装、住まい、すべての生活様式が第二次大戦を境に大きく変わりました。敗戦から立ち直った昨今の日本の食卓は毎日が「ハレの日」のご馳走であるという人たちもいる程豊かになった一面、子孫繁栄や家族の健康への願いを込めた伝統的な「ハレの日」の料理はやがて日本の食卓から消える運命にあるのでしょうか?              
 情報化社会の真っ只中に生きる現代人の多くは時(月日といっても良いかも)の経つのが日に日に加速化していると感じているのではないでしょうか? 仕事は片付けても、片付けても貴方に押し寄せてくる。  もの(料理も含めて)をつくる時間を節約して、コンビニの弁当で空腹を満たしながら書類を書く手を休めて、新年にはちょっと余裕を持って子どもたちの食卓に目を転じて見てください。
 箸を上手に使えない子、大人と同じように、おつゆ、ご飯、おかずという食べ方(三角食べ)ができなくて、ばっかり食いをする子などなど。子どもたちを取り巻く食の問題は限りなくあります。しかし、それらは、子どもたちの責任ではありません。大人と一緒に囲む食卓から、世代間の伝達が自然にできるし、また、日本の伝統料理や風習も自然に次の世代に伝わると私は考えます。
 新しい年を前にして、子どもたちのこころを育てる、体を育てる食について、真剣に取り組んでみませんか? ハレの日の食卓を一緒に囲んで、食べ物をつくってくれた人々への感謝のこころ、お節料理に込められた先祖たちの願いや意味について教えてあげて下さい(インターネットで検索すればすぐ出てきますよ)。来る年が皆にとって素晴らしい年になりますように、願いをこめて。 終わり