伊勢神宮の文化史 第4回
神様のお食事─神饌
矢野 憲一(五十鈴塾塾長)
 神宮では1年365日、雨の日も風の日も一日も欠かさず外宮の御饌殿で朝夕二度の神饌をお供えするお祭りがなされています。これは「日別朝夕大御饌祭」。古くは朝御饌・夕御饌とも言い、それを略して常典御饌と言います。この祭りは豊受大神宮(外宮)のご鎮座に由来すると言われ、約1500年前からずっと続けられてきました。
 平安時代の延暦の『止由気宮儀式帳』には、第21代雄略天皇の御代に、豊受大神を丹波の天橋立の近く比治の真奈井原からお迎えして、伊勢の度会の山田原の現在の外宮におまつりしたと言います。その理由は、天照大神が自分一人では食事も安心して食べられないから、自分の御饌津神として豊受大神を近くに迎えてほしいと神示があったということです。御饌津神とは稲を始めとする五穀の生産守護神で、食事を司る神ですので、内宮の天照大神も毎日外宮でお食事をなさるのです。
 神様の食堂である御饌殿は外宮の正宮の板垣内の東北隅、すなわち御正殿の裏にあり、一般には屋根の部分しか拝せられませんが、殿舎の構造が他の建物と異なります。それは神明造で、井楼組という柱を使わずに横板壁を井桁に組み合わせて、ちょうど饅頭や茶碗蒸などを蒸す蒸篭や、戦陣で組み立てる櫓に似た建築構造になっています。大昔は両宮とも宝殿や幣殿もこの校倉造りともいう井楼組の様式だったと伝えられますが、現在では御饌殿のみです。それは毎日の祭りがなされてきたために変えられなかったのだという話もあります。まさかそんなことはなかろうと思いますが、とにかく古い様式が残っていて、ここで営まれた祭りの伝統の根強さを物語っています。
 御饌殿には刻御階という一本の丸木を刻んでつくった階段が付き、これを昇ります。殿内には六神座が設けられていて御床は板張りで、奉仕者は膝行膝退といって膝を突いて進退の作法をし、神饌を納めた折櫃は目どおりに捧げて持ちます。私も月に3度か4度、このご奉仕をさせていただきました。
忌火屋敷 忌火をきる 神饌を御饌殿にお運びする
神様は一日二食
 日別朝夕大御饌祭に奉仕するのは禰宜、権禰宜、宮掌の各1名と出仕2名です。前日より参籠・潔斎して、翌朝5時(冬季は6時)に忌火屋殿で忌火を起すことから始まります。忌火は木と木を摩擦させて起した清らかな火です。
 火が起これば竈に移し、甑で飯を蒸します。御飯は強飯。竈は漆喰塗りで煙突がない古い形式。ちょうど秋田県の横手地方の雪のカマクラのような形です。この竈で湯気を立てている御飯は、高天原で大御神が「日本民族の主食にしなさい」と授けてくださった稲穂を今日まで生き続けさせている信仰に基づいた神田で栽培したお米です。御水も御塩も神饌を盛るカワラケの土器も神話の時代から続いているのです。
 朝御饌は午前8時(冬期は9時)、夕御饌は午後4時(冬期は3時)、一日2度です。これは室町時代以前の古代の人々の慣習が一日2食を基準とし、働きに応じて中食(昼食)や夜食をとっていた習慣が続いているのです。
 現在の「おもの」の品目は、御飯三盛、御塩、御水、乾鰹(カツオブシ)、鯛(夏期はカマス、ムツ、アジ、スルメなどの干魚)、海藻(昆布、荒海布、鹿尾菜など)、野菜、果物、そして清酒三献です。
お供えされた神饌 のしアワビ 遷宮のお祭りの饗膳
水・米・塩が基本
 神饌は新鮮な魚や野菜や海藻が毎日お供えされていますが、交通が不便で、しかも保存がきかなかった時代はどうだったのでしょうか。平安時代の『儀式帳』によると、お供えするのは「水・飯・塩」が主たる御料で、ほかに御贄とあるのは、神宮に所属する神戸などから調進された魚貝類や野菜で、これは入手できた時に限りお供えしたようです。
 御塩は、倭姫命がここでつくりなさいと教え御塩焼物忌が二見の御塩殿で焼き固めた堅塩。米は神宮神田の大神から授かったお米。お水も高天原から移したという伝説の井戸から毎日いただく。いずれも神話の時代にさかのぼります。この極めて質素な「水・米・塩」の三品が古来神宮の神饌御料で最も重んじられていたのです。これはとりもなおさず人間が生きていく食生活の最も必要なものであることは今さら記すまでもないでしょう。
 この3品に加えて特別な日は節供の御饌として、たとえば元日には神明白散という屠蘇。1月7日には新蔬菜御饌、15日には粥御饌、3月3日は桃花御饌というように季節のご馳走を供えていました。私たちの食事にも平常食と特別な晴れの日のご馳走とがあるように、神々の神饌にも祭典の日は特別のメニューがあります。神嘗祭には30品目もの神饌がお供えされますが、今回は毎日のお食事の話にとどめましよう。
 忌火屋殿でのお調理は1時間半ほどかかる。夕御饌も朝御饌と同時に調理します。一座ずつ定められた順に折櫃に入れ、辛櫃に納めます。そして毎日、定められた時間になると奉仕者は斎服をつけて斎館から参進し、祓所で宮掌による御塩のお祓いを受けてから始まります。
 神饌は神宮で自給するのが建前で、魚や海藻の他は神宮職員が神宮の施設で生産しています。野菜や果物も約100種類。明治以前は魚も神主が鳥羽や二見浦へ捕りに行っていました。
 お供えするのは御箸から始め、御飯・鰹節・鯛・海藻・野菜。果物・お塩。御水そして清酒三献。どうぞお召し上がりくださり、皇室のご安泰と国家の繁栄と天下四方の国々の国 民に至るまでお守りくださって、今年も五穀が豊作で平和な世界でありますようにとお祈りをして、八度拝という神宮独特の丁重な拝礼を繰り返してから、神饌をお下げします。夕御饌も同じです。
 一回のお祭りにかかる時間は40分ほど、お調理の時間を含めると一日4時間以上かかります。いや神饌は自作自給をする建て前ですから、毎日朝夕の祭典の準備は一年中たえず行われていると言ってよいでしょう。そしてこの毎日の祭典が、その年の一番大切な神嘗祭に連なって、ひいては20年毎の式年遷宮祭に行きつくのです。
やの・けんいち|1938年三重県生まれ。
國學院大學文学部日本史学科卒業、40年間伊勢神宮に奉職し、神宮禰宜。
この間、神宮徴古館農業館学芸員、弘報課長、文化部長、神宮徴古館農業館館長。神宮評議員、伊勢神宮崇敬会評議員。
神道文化賞・樋ロ清之博士記念賞・児童福祉文化奨励賞・日本旅行記賞など受賞。
主な著書に『伊勢神宮』(角川選書)