書のはなし 最終回

楷書 (唐・欧陽詢)
眼福 ~書の味わい
太田穂攝(書家)
書の美術館へ
 ほの暗い空間で、ゆったりと書を鑑賞してみませんか。心が落ち着きます。頭をからっぽにして「いいなあ」と思う作品にだけじっくり向き合うだけでいいのです。深みと奥行き、前面に出るインパクト。読めなくても空間構成のバランス、墨色を楽しむ。空中で字をなぞるのもいいでしょう。耳を澄ませば琴の音あり、パーカッション、オーケストラ…、さながら音のない音楽会。名品は何かしら語りかけてきてくれます。
古典名品の鑑賞
 連載で紹介した「書の名品」は各地の美術館や博物館などで鑑賞できます。歴史を乗り越えた逸品の、強さと美しさを堪能していただきたいものです。
 日本では東京上野の東京国立博物館が質、量ともに最大級です。東海地区では、名古屋市東区にある徳川美術館が仮名高野切第二種を所蔵、四日市駅前の澄懐堂美術館には中国明清時代の書の優品があります。中国では西安碑林上海博物館、台湾では台北故宮博物院。当地のほとんどの観光コースに組み込まれているようですから、機会があればぜひどうぞ。
書道展の鑑賞
 日展①等公募展の作品は、およそ以下の部門で鑑別、審査され、陳列されます。社中展や個展では、臨書や小品、前衛書など特色をあるものも出品します。
漢字  漢詩句を題材にした作品。甲骨文字から、篆書、隷書、楷書、行書、草書まで多岐にわたる伝統的な書風、書体を作者の感性で再構築しています。大きさは、一畳程度が多いです。②③④
仮名  和歌などを、特に平安時代の仮名書の伝統をふまえて表現した書。より美的な表現を目指すため、現在の日常生活では使用しない変体仮名も用いています。⑤
調和体  「漢字仮名交じりの書」「近代詩文書」とも言います。直線的な漢字と曲線の仮名を調和させた表現で、「日本語」の文学を素材に求めた作品です。漢字や仮名作品に比べると内容が理解できるので親しみやすいでしょう。⑥⑦
篆刻  漢字作品と同様、自分の意にかなった句や語を石に刻しているものが主です。鑑賞も書と同じで、線の表情や動き、形態の美を味わってください。

①2007年日展の様子 国立新美術館にて

②漢詩、1969年日展「荘子」近藤摂南

③漢詩、1990年日展「薛涛詩」近藤摂南
(日本芸術院賞受賞作)

④漢字、2004年日展「絶響」近藤摂南

⑤仮名、
百人一首「藤原興風歌」近藤摂南

⑥調和体、
1976年日本の書展「高浜虚子の句」近藤摂南

⑦調和体、
2007年日展「山辺の道」近藤摂南
茶室の書
 茶席の床の間には、書画(掛物)、花入、香炉、香合、文房具が亭主の好みで配されています。掛物には墨蹟⑧、古筆、一行、懐紙、唐絵、水墨画などがありますが、千利休は「墨蹟が第一」としました。墨蹟とは中国宋・元時代の書と、鎌倉から室町時代にかけての臨済宗の禅僧の書を指します。禅宗では仏像や仏画の代わりに自ら師とする人の書蹟を拝することから墨蹟が尊重され、茶の湯の世界でもこれに倣っています。
 「○○切」「○○色紙」と呼ばれる古筆は、主に仮名書きの巻物や本の形でしたが、十六世紀以降の茶の湯の流行により、平安貴族の美の遺産を、茶掛け用に切り分けて軸装されたものです。鎌倉時代の明恵上人はほとんどカタカナで生涯、夢日記をつけました。この「夢記切⑨」は絵入りで珍重されています。明恵は芸術的な高僧であり、お茶を栽培していたことから茶人に好まれていました。

⑧墨蹟、「一月現衆水」
無準師範(ぶじゅんしばん、南宋臨済宗僧)

⑨「夢記切」明恵、鎌倉時代
住まいの書
 中村好文氏が「ちょっとした物を置ける家具や、小さな絵が飾れる壁があればいい。そこがすまいのヘソ。つまり重心になって、不思議と心が落ち着くんです。『祭壇効果』とでもいうかな、部屋がたんに寝起きする空間から心が宿る場所に格上げされた気がする」、と『住宅巡礼』に著しています。暮らしに絵や書を求めるのは人間のこういった心理からもきているのですね。
 古来、書は屏風、襖、衝立などの室内装飾に使われてきました。百人一首は、藤原定家が山荘の襖に貼り付けるために名歌を選び、色紙に揮毫したものです。現在、書はホテルや、官公署、学校などに多く掛けられています。住宅では純和風の床の間に軸装作品は多いのですが、洋間や和洋折衷の間に書の作品は少ないようです。住宅の洋式化と共に、書も軸表装からマンションなどにも合うモダンな額表装が多くなりました。 
 書はストレートですから、書いた人に直接会っているような気がして嬉しくなります。古い逸品や一級の作家物、家族の作品など、心癒され、長く見ていて飽きない作品がいいでしょう。また、時を越える書と、命ある花との組み合わせは互いを引き立て、そこは素敵な「祭壇」空間となるはずです。

⑩白洲正子邸、富岡鉄斎の書に山吹の花

⑪外連味ない子どもの習字と
小さなグリーン

⑫ファッション評論家、大内順子邸
祖父の書に白牡丹

⑬拙宅教場玄関
近藤摂南先生の書に南天
白井晟一の書
 以前、白井氏の書の作品集「顧之居書帖⑭」見たときは、「墨蹟風」という印象に留まりました。ところが最近見た氏の草稿⑮の、胸のすくような筆の運びは清冽な感が漂い、感動しました。氏は夜行型で明け方まで学書者の骨格をなす東晋・唐の書を書いたといいます。氏の建築の特徴は聖なる空間と形容されるようですが、字を見てわかるように思いました。  「『字』をこえて『書』はない。悠久な歴史の中で彫琢され、その骨格・肉付けを完成してきた過程を信頼する私等は、絵画と判別できないカリグラフや恣意な創作墨象というような新語の感覚を持って『書』に対することはない」。白井氏の真摯なこの言葉からは、本物を知る者の書への深い念いが感じ取れ、昨今のマスコミ先導の底の浅い書への警告に思えてなりません。
⑭「虚空」白井晟一

⑮顧之居書帖稿「羅漢艶芸、察察」白井晟一
終わりに
 暮らしから「手」が消えていきます。メール、インスタント食品、工場仕立てのハウスメーカー建築。手の温もりを知らない昨今の人々が、他人に温かくできるはずもありません。人の手が生み出すものはおにぎりから芸術作品まで、語りかける力があります。建築、書ともに作家には、ささやかでも大きな役割がここにあると信じています。      (了)
〈出典〉 ①『書』(第五十二巻第十二号、新書派刊) ⑤『書』(第五十二巻第六号、新書派刊) ⑧『淡交別冊 書の美』(1994年5月号、淡交社刊) ⑨『出光美術館蔵品図録 書』(出光美術館編・刊) ⑩『芸術新潮』(1995年2月号、新潮社刊) ⑪『紙から生まれる暮らしの愉しみ』(井上由季子著、主婦と生活社刊) ⑫『家庭画報』(2007年5月号、世界文化社刊) ⑬ 提供;湯谷 実 ⑭『顧之居書帖』(1970年、鹿島出版会刊)
太田穂攝(書家) おおた・すいせつ|三重県生まれ。近藤摂南に師事。日展会友、読売書法展理事、新書派協会常務理事