保存情報 第134回
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 常懐荘(旧竹内邸)  澤村喜久夫|伊藤建築設計事務所
主屋玄関 広間(書院の間) 応接室(洋館)
■紹介者コメント
 小牧市の久保山の南に位置する常懐荘は昭和8(1933)年、教育者竹内禅扣が晩年に建てた邸宅で、和館(主屋)と洋館からなる。
 和館は中廊下形式で西側に玄関、広間(書院の間)、仏間、東側に内玄関、家族の居住に使用された和室や台所を設け、縁側南側と廊下北側に庭園を配置する。2階は和室と洋間に設えた寝室及び書庫を有し、階段ホールに続くバルコニーからは南の眺望が開ける。
 応接室(洋館)は玄関左手にあり、主屋とは広い廊下を介して繋がる。室内はマントルピースや家具などが細部までデザインされ、落ち着いた空間をつくり出している。
 建物は禅扣の死去後も親族が住み続けたが、老朽化が進み4年ほど前には無人となった。現在はひ孫にあたる林ケイタ氏(映像作家、京都府在住)が所有され、維持再生委員会を設立、展覧会やイベントを開催し、維持再生へ向けて管理を続けている。
 常懐荘は昭和初期の上流階級の住宅建築で、和洋折衷様式の特徴を備え、高度な建築技法と随所に丁寧な意匠を凝らし、創建当時の姿のまま残る貴重な建物である。また襖絵は山田秋衛(大和絵)、尾上柴舟(仮名文字)の作品が残る。さらに興味深いことは晩年まで親交のあった坪内逍遙の別荘「双柿舎」をモデルにしたといわれ、「常懐荘」の名は坪内が命名、直筆の扁額が保存されている。
 建築が世紀を超えて生き延びるには、保存しようとする人々の積極的な意思が不可欠である。常懐荘が地域の文化財として活用・保存され、その価値が発信されることを願う。
※竹内禅扣(たけうち ぜんこう) (1877 ~ 1935) 早稲田大学文学部文学科卒業。大正15(1926)年愛知高等女子工芸学校創設

所在地:愛知県小牧市久保一色228
データ発掘(お気に入りの歴史的環境調査) 瀬戸の陶磁器問屋街  三輪邦夫|RE 建築設計事務所
 
陶磁器問屋街 旧山丈商店倉庫正面 旧丸越陶磁器店
■発掘者のコメント
 名鉄瀬戸線(通称「瀬戸電」)の終着駅「尾張瀬戸」の北側。東西にまっすぐ伸びた道路の両側に木造2階建ての、いわゆる商家がところどころ建っているのが見える。古い地図では田・畑の記号になっていて、自然発生的というより計画的につくられた地域と思われる。
 明治後期、瀬戸において陶磁器の大量生産
化が進み、原料などの輸送手段として、それまでの荷車・馬車などから鉄道への転換が声高に叫ばれるようになり、明治38(1905)年に瀬戸電が敷設される。そのため旅客の輸送というよりも、瀬戸窯業のための貨物輸送が主たる目的であったようだ。
 貨車輸送が始まると陶磁器問屋は駅周辺に集まるようになり、問屋街を形成するようになった。道路に面した表は普通の商家だが、裏に商品が山積みにされ、かつては尾張瀬戸駅のプラットホームと直接つながっていたほど密接な関係であったが、今はその面影はない。
 旧山丈商店倉庫:大正5(1916)年建設、木造3階建て、半切妻屋根、トラス小屋組、外壁下見板張り。間口5間、奥行8.5間の長方形プランである。
 旧丸越陶磁器店主屋:明治42(1909)年建設、木造2階建て、切妻屋根、外壁漆喰壁。多治見の陶磁器店から暖簾分けのような形で店を構えて3代目。現在は娘さんがアトリエ・トレとして洋服のリメイク・販売の店舗として活用している。南入り玄関は、奥の部分は縁が張られているが、通り庭。左手はミセザシキ、奥は茶の間。ミセザシキの西側は上便所に通じる廊下、中庭を介して蔵を配する。2階は床の間付き2間続きの接客空間と典型的な商家である。


所在地:瀬戸市陶本町3丁目地内(尾張瀬戸駅の北側)