水生動物との関わり
第5回 「シーラカンス」

古田正美
   ふるた・まさみ
鳥羽水族館 顧問(公益)日本動物園水族館協会会友
昭和23 年(1948 年)生まれ。三重県立大学水産学部卒。
専門は水生動物の飼育と研究。
著書に『いたずらっこのチャチャ』(学研)、『海獣水族館』(共著 東海大学出版会)、スナメリ(共著 月刊海洋2003年8 月号)など。他『スナメリの飼育と繁殖』(海洋と生物2008 年2 月号)、『スナメリ飼育の歴史』(海洋と生物)・『海洋と生物』スナメリと海女さん1966年ごろ (2014年2月,4月号)など多数雑誌に寄稿。 
 シーラカンスの化石は、1844 年にスイスの博物学者によってロンドン北東の二畳紀(2 億5000 万年前)の地層から初めて発見されました。「生きているシーラカンス」が発見されるまでの100 年間におよそ80 種類の化石が見つかりました。それらは古生代デボン紀(3 億7000 万年前)から中生代白亜紀(7000 万年~8000 万年前)の地層で発見されていただけで、シーラカンスは絶滅したものと考えられていました。
生きている化石シーラカンス
 現生のシーラカンスは、1938 年12 月22 日に南アフリカ共和国の南部イーストロンドン近郊にあるチャラナム川の河口沖で捕獲され、まさに人類へのクリスマスプレゼントのように現れました。当時は緊急の連絡網がなくクリスマス休暇で研究者は不在で、イーストロンドン博物館の学芸員ラティマー女史は魚の特徴のスケッチとメモを残し、内蔵を取り除いた腐敗の進んだ魚体から世紀の大発見となりました。2 体目は、第二次世界大戦後の1952 年の12 月にコモロ島で捕獲され、大発見から1989 年までの半世紀でおよそ200 体がコモロ諸島で捕獲されました。近年ではアフリカ東岸のモザンビーク共和国、ケニア共和国、マダガスカル共和国の沿岸でも捕獲され、2000 年以降では深海潜水士によって水中撮影がなされています。
 当初、シーラカンスは1 種と考えられていましたが、1997 年9 月にコモロ諸島からおよそ1 万km 離れたインドネシア共和国のスラウェシ島北部で発見され、現在では2 種類が知られています。
 シーラカンスは1989 年にワシントン条約(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)付属書1にランクアップされ、研究目的以外では国際間取引が禁止されています。1990 年代には、生息数が大変少なく絶滅を危惧されていましたが、サメなどの深海漁の発達によりモザンビーク海峡周辺国でシーラカンスの混獲が見られ、考えられていたよりその生息数は多いことがわかってきました。
シーラカンス調査紀行
 私は1988 年11 月に初めてコモロイスラム連邦共和国(現・コモロ連合)を訪れ、グランドコモロ島でシーラカンスの写真を持って漁村を巡り、聞き取り調査をしました。この折りに、アーメド・アブダラ大統領(当時)に拝謁がかない、鳥羽水族館とコモロ国立博物館が共同で捕獲調査を行う許可を頂くことができました。これが、私がシーラカンスに関わった始まりです。翌年の1989 年9 月に私たち捕獲調査隊は空路グランドコモロ島に入り、チャーターしていたイギリス船籍のサルベージ船「パシフィック・オーク」号で調査を始めました。
 調査目的はシーラカンスの捕獲ですが、生息海域の水温(表層~水深600m)の計測、塩分濃度、pH、溶存酸素などのデータの集積や水中ロボットカメラと生物を捕獲するためのトラップに取り付けた暗視カメラ、そして潜水と釣りによる生物相の調査など、シーラカンスを取り巻く生息環境の調査も行いました。
 私たちはグランドコモロ島、アンジュアン島、モヘリ島の沿岸で昼夜を通して調査を行いましたが、水深200m 周辺に生きるシーラカンスに遭遇することは困難を極めました。残念ながら、生体の捕獲はできませんでしたが、奇跡的に洞窟内に潜むシーラカンスを水中映像でとらえることができました。
 予定していた調査終了の日が近づき、アンジュアン島で機材の撤収準備をしていた11 月27 日に大統領が暗殺されるクーデターが起こり、空港は閉鎖され調査船は出港停止の状態に置かれました。私たちは、空港の開港を待つか、モザンビーク海峡を横断してケニア共和国のモンバサへ渡るかの二者選択の決断を迫られました。一方では陸上映像班が所持していたフィルムが没収されたとの噂が広がり、虎の子のシーラカンスのビデオ映像が没収されないか気をもんだものでした。さらに、調査船にシーラカンスの死体や生きたものを持っていると疑われ、軍に不所持の誓約書を書かされました。
 何とか12 月2 日10 時30 分に調査船の出港許可が下り、11 時にグランドコモロ島のモロニ港からモンバサへ向けて出港ができました。モザンビーク海峡を52 時間で横断し、モンバサ港には12 月4 日の15 時に到着しました。モンバサで困難を共にした「パシフィック・オーク」号と別れ、多くの方々の手助けにより首都ナイロビへ移動することができました。その後、ロンドンのヒースロー空港を経てアラスカのアンカレッジ経由で成田国際空港にシーラカンスの映像と共に無事に帰国できました。これがシーラカンス調査紀行の顛末記です。
調査中の「パシフィック・オーク」号 生物捕獲用トラップ
シーラカンスに出合って
 コモロ諸島では、シーラカンスに3回遭遇することができました、1 回目は日本がODA で建設した冷凍庫の中でアメリカのスタインハルト水族館などが捕獲したもの、2 回目は水中ロボットカメラで撮影したもの、3 回目は漁師が釣って調査船に持ってきたものでした。
 「生きているシーラカンス」をじかに見たのは、10 月30 日21 時30 分に漁師が調査船に持ち込んできたものだけでした。生きてはいましたが釣り上げたときに鰓(えら)の後ろ側に太いフック(鉤・かぎ)が打ち込まれ、さらにカヌー(現地の漁師船)に支えられていたために瀕死の状態でした。この体長157cm の生きているシーラカンスは、紫色の体に白い斑紋、目はエメラルドグリーンに輝き、驚くほどに美しいものでした。
 残念ながら飼育を試みるには困難な状態で、計測と聞き取り調査のみを行い、コモロ国立博物館へ持参するように漁師へ指示をしました。
 また、私たち調査隊が海底で初めてシーラカンスに遭遇したのは、10月9 日正午のことでした。グランドコモロ島のバンバニ沖水深184m の溶岩洞穴内で、水中ビデオカメラが捉えた暗闇の中に、輝く3 つの光る目が船上のモニターに突然現れ興奮したものでした。わずか5 分ほどでしたが、これが最初で最後の遭遇でした。その時の映像は、今も鳥羽水族館の「生きている化石」のゾーンで終日放映されています。当時としては、日本にこの映像しかなかった貴重なシーラカンスの水中映像です。
   
冷凍庫のシーラカンス  漁師のカヌーと釣り上げたシーラカンス
コモロイスラム連邦共和国 (現・コモロ連合)
 コモロ諸島は、アフリカ東岸のモザンビーク共和国とマダガスカル共和国の間のモザンビーク海峡にあります。首都モロニがあるグランドコモロ島、モヘリ島、アンジュアン島、マヨット島(フランス領)の主に4つの島からなっています。
 いずれも火山島で水深150 ~200m 付近まで水温はおよそ15℃と暖かく、海中溶岩洞窟が発達して隠れ家のように、太古からシーラカンスが生き残れるシェルターができていたと思われます。
 この国は近年まで政治不安が続き、クーデターが頻繁に起きていました。2001 年には国名をコモロ連合と変更し、マヨットを除く3 島から交互に大統領を選出して統治されています。日本からは遠い国ですが、バニラビーンが特産品の美しい島国です。
 
首都モロニ(1988 年当時)